これまで「深く考えないまま脊髄反射的に判断し、主張や非難を浴びせる人」「空疎な正論を振りかざし、もっともらしい顔をするマスコミや専門家(前篇後編)」など、反面教師とするべき「口先ばかりで中身のない人々」についてみてきた。

しかし、考えることを放棄したままマスコミ・扇動者など声の大きい者になびき、行動する「一般の人々」にも問題がある。最後となる今回は、そうした自省も込めて「何も考えなくなった人々」についてみてみよう。

※本記事は『その言葉だと何も言っていないのと同じです!』(吉岡友治著)から一部を抜粋し、編集したものです。

【「何も考えなくなった人々」の傾向と症状】

  • 論理矛盾に気づかない
  • トレード・オフを想定しない
  • 集合の誤謬がわからない
  • メカニズムでものごとを考えない
  • 善意に酔ってデータを曲解する

論理矛盾を気にかけない

メディアと知らず知らずのうちに結託すると、我々の言葉は「付和雷同」と「支離滅裂」になる。誰かが言った意見を繰り返す。雰囲気やイメージ、あるいは通念だけで適当に発言する。自覚的にものを考えないので、態度や言葉が矛盾していることにも気がつかない。

たとえば、一方で「暴力的なゲームばかりやっているから本当に凶悪な犯罪に走る」と言いながら、他方で「恋愛ゲームばかりやっているから本当の恋愛ができなくなる」と主張する。

矛盾に気がつかず、同じ人が同時に主張することも少なくない
矛盾に気がつかず、同じ人が同時に主張することも少なくない

前者は、ゲームにどっぷりとハマり過ぎると現実行動が激しくなると考えるのだが、後者はフィクションにハマり過ぎると現実的行為が弱まると主張している。正反対の理屈を立てているのだが、それに気がつかず、同じ人が同時に主張することも少なくない。

トレード・オフを想定しない

こういう人はシンプルな解決を好み、現実が変えられないのは、「抵抗勢力がいるからだ」と思いやすい。

だが、現実はいろいろな要素が複雑に絡み合ってできているので、一つを変えれば、その影響が全体に広がり、別なものも影響を受ける。だから、何かをよくしようとすると、たいてい他の部分に損害をもたらすという「トレード・オフの関係」になる。

本来、その矛盾をどうするかが大人の知恵の絞りどころなのだが、単純な人は考えることが嫌いだ。だから、「組織一丸となって立ち向かう」「意識改革をすべきだ」などという勇ましいスローガンに弱い。

でも、トレード・オフを考慮すれば、改革は必ず歪みも生む。たとえば「公務員改革」をして、待遇を極端に下げれば、公務員志望者が少なくなり、必然的に行政サービスが低下する。

たとえば、某国では警察官の給料が安い。そこで、警察官は定期的に検問して、金を持っていそうな人から罰金を取ることになる。もちろん、その金は国庫には入らず、警察官の小遣いとなるのである。警官の給料のコストを下げることはできたが、警察システムは劣化する。これでは、改革の意味はないだろう。