そうしたらなんと、そのアンゴラ人のお父さんが、警察のトップだったんです。そのコネでばかばか売れるんですよ。それこそ2ヶ月先に送る車の代金がもう振り込まれているという、すごくおいしい商売でした。

 そして大学を卒業したとき、じゃあ日本車を売ろうかと。日本人だし。それで日本車を送るようになったんです。もちろん売れると思ってました。それまで売れていたし、それはぼくらの商品やサービスがいいからだと思っていた。

でもそれは完全な勘違いでした。なんのことはない、それまではただ単に、友達の父親のコネで売れていたんですね。

それがわかっていなかったぼくは、アフリカへ片道切符で行ったんです。車が売れて帰りはファーストクラスだ、なんて意気込みながら。

しかし、まったく売れなかった。どこの馬の骨かわからないぼくに車1台分の大金を支払う人はひとりもいなかった。資金がどんどんなくなっていくのに、できることが何もない。この時のつらさといったらなかったですね。

しかし何とかそういうことを乗り越えていまこうしてしゃべらせていただいている。これはもう目茶苦茶ラッキーだと思います。

アフリカでは「コネ」がすべて!

さきほど本にサインをしていたとき、多くの方が「わたしもアフリカでビジネスをしたいんです。何かヒントをください」とおっしゃっていましたので、そのあたりを少ししゃべります。

アフリカのビジネスをひとことで言いますと、「コネがすべて」。

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イベントは2016年2月14日、大手町サンケイホールで行われた

大学在学中に起業したとき、メンバーは4人でした。2人がアンゴラ人でぼくともう一人が日本人。その4人が卒業と同時に2人ずつに別れて、片方は韓国に残った。ぼくと一緒に日本に戻ってくれたのが金谷さんといって、いまでもうちの会社にいます。

この金谷さん、アフリカ生まれのアフリカ育ちで8カ国語を話すことができるというすごい人で、ぼくらがここまで仕事ができているのは、この金谷さんのネットワークを使わせてもらっているからなんです。彼はアフリカでインターナショナルスクールではなく現地の学校に通っていました。そうすると、先輩後輩、同級生たちに、大統領の子どもとか、財界の有力者の娘とかがいたわけです。

そしてぼくたちがある程度の資金を持って、30歳手前で西アフリカの彼の故郷へ行ったとき、学校時代の友人たちもまた政財界にデビューするタイミングだった。それで一緒にこれをやろう、あれをやろうといって、お互いに大きくなっていった、という経緯があるんです。

中国、アフリカ間で貿易を始めてから仕事が拡がった

具体的に何からやったかというと、中古車販売以外では、まず中国とアフリカの間の貿易を始めました。この貿易は、日本で考えられている貿易と少し違うと思うんでお話ししますね。

まずぼくたちは、中国でいろんな商品を仕入れてきます。それをアフリカで売る。そうすると現地の通貨が手に入るので、それで現地の資源を買うんです。木材とかカシューナッツとか、金とか。

今度はそれを中国に持って行き、売って、人民元をもらう。また中国で仕入れて、アフリカで売る。これを繰り返すんです。いまでは毎週30コンテナ、往復で60コンテナを行き来させています。