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 | 今年100歳の現役講師が語る、「銀の匙」授業に込めた想い |
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このように、たとえば試験や課題の提出期限前に一夜漬けの勉強をしなければならないこともありますし、とりあえず目の前のテストなりなんなりに間に合わせなければならないということもあります。だから、そういった急場しのぎの暗記は仕方がありません。
ただし、そんなふうに付け焼刃で詰め込んだ知識は、すぐに忘れて使い物にならなくなります。
すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる。
私はそう思うのです。
(『伝説の灘校教師が教える 一生役立つ学ぶ力』p.44より)
日本有数の進学校・灘校。今でこそ、「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」などと評価されていますが、今から60年ほど前までは、「公立校のすべり止め」というのが、世間の認識でした。
1950(昭和25)年。まだそのような認識をされていた灘校で、「小説『銀の匙』を、3年間かけて読み込む」という、風変わりな授業が始まりました。
始めた教師の名は橋本武。当時はまだ公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を名門進学校に導いた1人として、「伝説の教師」と呼ばれています。
橋本氏が『銀の匙』授業を始めるに当たり何を思い、どのような願いをこめただったのか。また、その授業を通して、どのような「生き方」を生徒に身につけてほしかったのか。それらを余すところなく語り下ろした『伝説の灘校教師が教える 一生役立つ学ぶ力』(以下、本書)を発刊しました。

今回の特集は、本書の引用を交えながら、橋本氏が「授業を通して身につけてもらいたかったもの」をご紹介します。
●「学ぶ」ことは遊ぶこと、「遊ぶ」ことは学ぶこと
進学校の授業と聞くと、「こういうパターンはこう解く」などテクニック偏重型の授業をイメージする方も多いかと思います。
ですが、『銀の匙』授業は「内容から枝葉を広げて横道に何度もそれることで生徒たちが進んで面白がり、そこで抱いた興味を原動力として自主的に学んでいく」ことを重視したものでした。その最たる例として、「『銀の匙』の文中に出てきた駄菓子を参考として紹介し、みんなで食べてみる」ということもやってみたそうです。
橋本氏は、そうした横道にそれることで興味を引き、自主的に学ぶ姿勢を育てる意義について、次のように語っています。
プロ野球を例に挙げましょう。
ああいったプロの試合が面白い理由。それは、選手たちが遊びふざけるのではなしに、見ている人のために一所懸命働いているからです。だから、私たちは見ているだけで楽しめます。
ところが、遊びはまったく逆。自分から参加し、皆と一緒に行動してはじめて、遊びの楽しさ、面白さが実感できます。遊んでいる姿をはたから見ているだけでは、ちっとも面白くありません。そもそも、子どもはもとより大人であっても、楽しそうなことがあれば、自分から積極的にその中に飛び込んでいくはずです。
これは勉強でも同じこと。教師であれ親であれ、頭ごなしに「こうやれ、ああやれ」と押し付けていたら、いつまでたっても子どものやる気は起きません。
やはり、教育というものは、子どもの力をどんどん引き出す方向に進むべきなのです。子どもは、ひとたび自然と何かに興味をもてば、自分から進んでやるようになるわけですから。
(本書p.26-27より)
●生徒の心に生涯残って、生きる糧となる授業がしたい
先に述べたように、橋本氏の授業は「生徒の興味を引き、自ら学ぶ」ことを重視したものです。なぜ、そこまで「自ら学ぶ」ことにこだわったのでしょうか?
橋本氏は、『銀の匙』授業を始める前に「自分が中学校のときに受けた国語の授業はどんなものだったろうか?」と思い返したところ、先生に対する親しみの気持ちは湧いてくるが、どんな教材を使い、どのように進んだのかがまったく思い出せなかったそうです。
ただ1つ思い出したのが、「徒然草の仁和寺のお坊さんの話が面白かった」。ただそれだけ。
これに愕然とし、「一所懸命教え、生徒が卒業した後、その心に何も残らない授業をすることほど虚しいことはない」と感じたそうです。
そこで思い出したのが、今度は小学校3年の時に受けた授業。当時の国定教科書を使わず、講談本(物語をまとめた本)を使った読み聞かせの授業でした。
この「教科書ではなく、物語を読む授業」こそが橋本氏の読書人生の原点であり、こういう授業であれば自分の生徒たちの心にも残るのではないか。心に残り続ける授業であれば、長期的な学力・能力の下地になるのではないか、と考えたそうです。
この記事の冒頭で引用した文章の続きには、長期的な学力・能力の習得に対する、橋本氏の考えが述べられています。
20年、30年先を見た長期的な学力、能力を身に付けるためには、やはり「銀の匙授業」でやったように、枝葉にまで疑問をもち、その疑問に対してじっくりと腰を据えて考えるというやり方でないと、なかなか効果は上がらないのです。
(本書 p.45より)
●教師、大人、親…etc. 「教える者」の仕事
『銀の匙』を教材の形に落とし込んだ「銀の匙研究ノート」を作るにあたり、橋本氏は夜中遅くまで製作作業を行なったそうです。
当時は印刷技術が今ほど発達していなかったため、ガリ版刷り(原紙を鉄筆で削り、それを印刷機にかけて複写する印刷法)で行なっていましたが、1行で20分、3行で1時間。1ページあたり12行ならば全体を仕上げるのに4時間、と膨大な時間がかかります。
また、『銀の匙』以外にも読書感想文のとりまとめを行なうとなれば、土日も含めた自由な時間をすべてつぎ込む必要があったそうです。
そうして、もてるすべてをつぎ込んだ橋本氏の授業がどのような結果を生みだしたかは、冒頭に述べたとおり。灘校は日本有数の名門校となり、各界の名士を多数輩出しました。
その過程で、橋本氏はどのように感じたのか。本書では次のように述べています。
しかし、他人からすれば考えられないような、手間のかかる授業をやり続けた結果、教師という職業の特性について、おぼろげながら見えてきたことがありました。
それはつまり、教師の仕事というのは自分の人間性を生徒にぶつけることだということです。
分が好きで一所懸命ガリ版刷りを夜遅くまでやる。土日もつぶして子どもたちの読書感想文に目を通す。そういった一所懸命な思いは、プリントや授業を通じて子どもたちに必ず伝わります。
教師が教師としての自分自身を磨いていけば、その姿は必ず子どもたちの胸に届く。生徒たちが喜んで勉強をしている様子から、そんなことを感じました。
そしてこれは、教師のみならず、教える人すべてに当てはまるのです。大人、親、先輩、上司、誰にでも同じことが言えるのです。
(本書 p.108-110より)
以上、本書の引用を交えつつ、内容をご紹介してきました。本書には、ここで紹介した以外のエピソードや、生きること・学ぶことに関する橋本氏の考え方が凝縮されているほか、週刊読売(1974年4月6日号)に掲載された作家の遠藤周作氏との対談も再録するなど、密度の濃い1冊にまとまっています。
教える側と教えられる側、どちらの心にも響くメッセージが詰まった本書を、ぜひ、お手に取ってみてください。 |  |
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橋本武
はしもと・たけし
1912(明治45)年京都府生まれ。2012年に100歳を迎える。34(昭和9)年に東京高等師範学校(後の筑波大学)を卒業、旧制灘中学校の国語教師となる。小説『銀の匙』を中学3年間かけて読み込むという前代未聞の授業を行い、公立高のすべり止めに過ぎなかった灘校を名門進学校に導く。62年、『銀の匙』2期生が灘校初の京大合格者数日本一、さらに68年には『銀の匙』3期生が、私立高として初の「東大合格者数日本一」になる。71歳まで50年にわたり、灘校一筋で教壇に立つ。84年に退職。退職後は文筆活動を続けながら、いまだに地元のカルチャーセンターなどで現役講師として活躍する。
教え子に、作家の遠藤周作、神奈川県知事の黒岩祐治、東大総長、東大副総長、最高裁事務総長、日本弁護士連合会事務総長数など、日本の各界のリーダーがいる。
2011年、橋本氏を取材したノンフィクション『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』(小学館)がベストセラーになる。
著書に『教科書<国語総合>解説 古典(古文・漢文)』『橋本武のいろはかるた読本』『解説百人一首』(以上、日栄社)、『灘校・伝説の国語授業……本物の思考力が身につくスローリーディング』(宝島社)などがある。 |  | | |  |  |  |
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