人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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井伊共保の伝説の意味するもの

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2017/01/16 11:48

浜名湖から北東にある井伊谷宮(photo by 立花左近/wikipedia)

「おんな城主 直虎」の初回でも紹介されていたように、井伊家の事実上の祖とされる共保には不思議な言い伝えがある。

『寛政重修諸家譜』にも収録されている逸話で、遠江国村櫛に住んでいた井伊共資は、寛弘7年(1010)に井伊谷八幡で井戸の中に生まれたばかり男の赤ちゃんを見つけた。そこで、その子を家に連れて帰って、わが子のように育てたのが共保であるといい、成長した共保は井伊家を継いで、井伊谷の地に移り住んだとされる。

以後、井伊家は近隣に多くの分家を出しながら発展を続け、戦国時代初期には遠江西部を代表する国衆にまで成長した。この言い伝えは、藤原氏の末裔という共資以前と、井伊谷の国衆である共保以降は、本来別の家であったことを暗示している。

実は、浜名湖北部には北岡大塚古墳など、古墳時代前期から中期にかけての首長墓とみられる古墳がいくつもあり、この地には古代豪族がいたことがわかっている。地方の古代豪族の末裔は、奈良時代以降も土着の勢力として残っていた可能性が高い。そこに、中央から藤原氏の末裔が地方官僚として派遣されて住み着き、やがて両家は婚姻関係を結んで同化したのではないか、と考えられるのだ。

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