人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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中伊豆を歩く(1) 蛭ヶ小島

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2016/11/07 10:04

11月になって急に冷えこんできた。涼しくなる前にどこか史跡のありそうな場所を散策しようと中伊豆に行ってきた。韮山付近には世界遺産となった反射炉だけでなく、多くの史跡が点在している。

とりあえず新幹線で三島駅まで行き、伊豆箱根鉄道に乗り換えて韮山駅で降りる。駅から東に10分程歩いたところが蛭ヶ小島だ。韮山町は平成の大合併で伊豆長岡町・大仁町と合併したため、現在の地名は伊豆の国市四日町字蛭ヶ島。

hiruga_bus
バス停には「蛭ヶ小島」ではなく「蛭ヶ島」と書かれている

蛭ヶ小島は、平治の乱で平家に敗れた源頼朝が、平清盛の継母池禅尼の取り成しによって処刑を免れて配流された場所である。小学校のときに読んだ源平合戦の本で「蛭ヶ小島」という地名を初めて見たときには、離れ小島に流されたと思っていたが、実際には盆地の中である。

この近くを流れる狩野川は、しばしば洪水を起こし流路が変遷した。そのため中洲があちこちに点在し、蛭ヶ小島もその一つだったという。現在は田園地帯の一画につくられた史跡公園となっているが、当時は離れ小島ではないものの、蛭のいるような中洲の湿地帯だったのだろう。この劣悪な環境で20年間雌伏した頼朝は、治承4年(1180)に反平家ののろしをあげた。

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蛭ヶ小島の史跡公園
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