人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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埼玉県のルーツ(2) 「さいたま」と「さきたま」

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2015/05/18 10:50

「さいたま」なのに「さきたま」?
「さいたま」なのに「さきたま」?

さきたま古墳群の「さきたま」を漢字にすると「埼玉」となる。古代に巨大な古墳群を作るだけの権力を持っていた豪族がいたこの地こそが、今の埼玉県のルーツなのだ。

「さきたま」という地名の由来には、「多摩の奥」「湿地(たま)に由来」など諸説あってはっきりしないが、この地域が埼玉県内で最も歴史の古い地域であるといえる。面白いのは、旧埼玉村は「さきたま」なのに対し、郡名は古くから「さいたま」だったらしい。県名には郡名が採用されたため、「さいたま」となった。

現在では、「埼玉」は行田市の大字の一つで、古墳群の近くを歩くと、電柱の看板や、信号機などに「埼玉」という地名をみることができる。この地域の学校も行田市立埼玉小学校や、埼玉中学校である。しかし、電柱に「ここは埼玉」と書かれているのを見ると、あまりにも当たり前すぎて不思議な感じがする。

埼玉小学校前のバス停
ここは埼玉
ここは埼玉

 

平成大合併で浦和市・大宮市・与野市の3市が合併して政令指定都市のさいたま市が誕生したとき、公募された新市名のトップは県名と同じ「埼玉市」だった。このとき、行田市は埼玉のルーツは行田市埼玉であるとして、「埼玉市」を使用することに難色を示している。

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